意思の力

ぜんぜん意思の力みたいなものが本当にあると感じていない。

ので、いわゆる「実力」や「潜在能力」、「やればできる」といった言葉に対してだいぶ据わりの悪さを覚えてしまう。やれるかどうかって、それこそ能力では?ということですね。

観察されたアウトプットが、与えられた環境でその人が達成した結果であり、それ以上の(以下の)アウトプットが出せるとしたら、それは違う環境で試したからでしょう?もちろん、思考実験として「全く同じ環境でも異なるアウトプットが得られたかもしれない」とは言える。でもぼくはその議論が生産的とはあまり思わないので省く*1

たとえば、「もっと頑張ればもっといいアウトプットが出せたよ」と言う人がいる。でもそこまでしかその人は頑張れなかった。それが結果。もっと「頑張れる」のだとしたら、「頑張れる」だけの要因が別になければいけなかったんでしょう。応援してくれる人がいたら、体調がもっとよかったら、他の仕事があんなに立て込んでいなかったら……

だから、ぼくは「やればできるのになぁ」と自評する人にも他評する人にも、じゃあ頑張れるだけの環境をきちんと調えれば?と思ってしまうわけです。

*1:観察不可能な「全く同じ環境」について議論することの価値がよく分かっていない。